2017年9月27日水曜日

思い出したことと小さな決意


ひとつ前の投稿の、山登りの話の続き。

続きというか、今日訪問先でおばあちゃまとお話をしていて、山登りでのことを思い出した。

 

山登りを思い返した時に、いろんな人とすれ違って、挨拶をしたり、挨拶をしてもらったり、びっくりしたり、そういうことが「よかったね」の中にたくさん含まれていた。

きれいだねぇと言える相棒がいて、視線の先には見知らぬ人があっちの山は○○だねなどと指をさしているのを見るのもよかった。

 

登り始めてしばらくすると見晴らし台があった。
そこにはベンチがあって、ラジオ体操をしている人がいた。ちょうどそのくらいの時間だった。話しかけることもできたけど、そうせずに、少し後ろで音を拝借して、わたしたちもラジオ体操をした。


その後私たちの方がずいぶん先に歩き始めたのに、ラジオ体操の主が追い越していった。

「おはようございます」と言ったら
「さっきいたわよね」と言われたので、
「実は後ろでラジオ体操させていただいていました笑」と返した。
ふふっと笑って、颯爽と登って行かれた。

 

 

山の中を1人で、誰とも出会わずにずっと歩き続けることは、
そういうことをしようと覚悟をして始めたなら違うかもしれないけど、
きっと全く違うものだろう。
その道が絶対に安全だと言われても、1か月も2カ月も一人で歩くことはわたしには多分難しい。

 


この事業所が、道の途中のベンチのような場所になっていったらと、
今日おばあちゃまと話していて思った。


誰が置いたと主張するわけでもなく、そういえばそこにあったというような。
あぁあってよかったと思ったり、こんなところにあるなんてと邪魔に思われたり。
そこでは、隣り合った人同士が話したり話さなかったり。
背景になるような、そこで起こることを見つめさせてもらうような気持ちで。

 
そんな気持ちで、
近いうちに、小さな新しいことをいくつか始めてみようと思っています。

2017年9月25日月曜日

一期一会


次の日の午前中のケアがキャンセルになった。夜に家族会議をして、始発の電車に乗って高尾山に登ろうということになった。

 

登山中にすれ違う人は少なく、たまに会えば「この人も頑張って起きたのかなぁ」と妙な親近感を覚える。そんな中、スタスタという足音に振り向くと、チェックのスカートに薄い水色のブラウスを着た女子高生が軽快に登っていく。

「学生さんだよ!」と言うと、会釈をしてくれた。頂上で彼女は朝ごはんを食べていた。「今日思いついて登ってみたんです」だって!
キラキラだなぁ。
「あの子とまた会えたらいいね。」「でもこれが一期一会ってことじゃない。」と、

リフトで下りながら話した。



下山後は、山のふもとの大きなお風呂へ。
ほとんど誰もいないお風呂で空を見上げていたら、

「いや~寒いわね~。身体すっかり冷えちゃってさぁ。」

と、早口で話しながら女の人が入ってきた。

ずいぶん親しいお友だちに話しかけているような口調なのだけど、お風呂にはわたしとその人しかいない。年のころは60代後半くらいだろうか。
 
「もういいかなと思って一回あがったんだけど、寒いからさ。半袖じゃだめね、長袖ね。
 あんた何着てきたの?」

あ、半袖に一枚羽織るものを持ってきました!

勢いに負けないように、わたしも水圧を借りてお腹に力を入れて声を出す。
ちなみにこの日は最高気温29度と天気予報では言っていたけど、朝から日差しの照り付ける暑い日だった。

しっかりとわたしの目を見て話は続くよ、どこまでも。

 
「お姉さんはどこ出身なの?」

え、えーと、生まれは川崎です!

「どおりでこの辺では見ない顔だね。じゃあ川崎から来たの?
 まぁ、あんまり聞いちゃね。今は個人情報とかいろいろ怖いから。
 わたしは立川でね、朝7時に起きて来たのよ。前に入りに来たときは3年前で、
 その時はもっと混んで芋を洗うようでさぁ(…つづく)」

 え~!!この辺の方じゃないの!3年ぶり!「見ない顔だね」って言ってたのに~とワクワク感は募るばかり。すっかりのぼせてしまう。


着替えて髪の毛を乾かしていたら、「ちょっと悪いんだけど」と、クルクルっとまるまった背中のシャツをこちらに向けてこられた。丸まっちゃったんですね、とシャツを引っ張り伸ばす。

「ありがとね~」と言われて、へへっと笑う。

 

ひとりでは味わえなかった。わたしたちだけでは味わえなかった。

 

次の週、朝刊を読んでいたらこんな言葉が載っていた。

「美味しいもの、美しいもの、面白いものに出会った時、これを知ったら絶対喜ぶなという人が近くにいることを、ボクは幸せと呼びたい。  燃え殻」

(鷲田清一『折々のことば』 朝日新聞2017.9.21

 

「食事は独りでとるより誰かとおしゃべりしながらするほうが旨い」(鷲田清一)し、大きいお風呂で誰かとおしゃべりしながら入るほうが温まる。

でも仲良くならなくても、次につなごうとしなくても、もしかしたら話をしなくてもいい。人生の瞬間がたまたま重なった時間を共に過ごしているとじんわりと感じられるだけでもいい、と思う。味わう時間が目の前に横たわっているような気がしている。そこから先は奇跡みたいなものだから、初めから願わないし、もし生まれたならそれだけで祭りだと思う。

2017年9月8日金曜日

お盆の風景


あっという間に時は過ぎ、外は秋の風。
 
時季外れの話になるが、国分寺のお盆は7/318/3
オカイコさんをやっていたおうちが多く、「仕事の関係で、忙しいのを避けるためにお盆は7/31からなのよ」と、お風呂に入りながらMさんが聞かせてくれた。
 
だから、何となくは知っていた。だけど体になじむまで、5年くらいかかった。道の角に胡瓜の馬や茄子の牛が置いてあっても、日付を意識していなかったんだと思う。
そもそもお盆というもの自体を、自らを担い手として意識していなかったからかもしれない。
 
 
子どもの頃のお盆と言えば、
深夜に車に乗って田舎に行くことで、その道中はあらかじめ買ってあったお菓子をたらふく食べてよくて、田舎に行くとおじいちゃんやおばあちゃんはもちろんのこと、親戚やいとこに会えて、ダラダラと過ごす。田舎って何にもないなと退屈していると「おーい、まちへ行くぞー」と声がかかり、スーパーへ山を下って行く。
夕方になると明かりのついていない古い提灯を持って、お向かいの山をジグザグに上って、お寺に行き、ロウソクに火をつけて提灯にともして、またジグザグ帰る。
その日の夜は、いとこと一緒に花火をして、川の音とカエルの声を聞きながら眠るのだ。
…それが「お盆」だと思っていた。
 
という話をしたら、
「それはお盆の話じゃなくて、風景の話でしょ。」とするどいツッコミ。もちろん訪問先での話。
 
 
今は、事情があって母の骨の一部が近くのお寺に預けてあるので、お盆になるとそこへお参りに行く。自分がやらなければ誰もやらない、と思うとお盆がぐっと近づいてくる。
 
「あれ?今お参りしてもここにはいないのかな?
 あ、そもそもここにはいないのかしら。」と、手を合わせながらブツブツつぶやく。
母の日に他界したからカーネーションを供える。
「そうか、母だけじゃないよな。
 おじいちゃんもおばあちゃんも、もっとずっと前からか~」帰り道にまたブツブツ。
 
 
話は戻って、
国分寺もそうだけど、訪問先のお宅によって出身地が違うからお盆に出会う期間は長くなる。
訪問するとお孫さんたちがお金を出し合って買ったという灯篭が出してあったり、
「初物を供えるのよ」と小さなお野菜が盆棚に並んでいたり、
きちんとお盆を過ごす風景に出会うことができる。
 
「悩み事の相談は、ご先祖様にするといいよ」というアドバイスは、年中してもらえる。