10日に1度はブログを書こうと(実は)秘かにに思っていたのに、
嘘のように、あっという間に6月がやってきてしまいました。
そして、
6月1日で、訪問介護ことりは2歳になりました。
いつも支えてくださるみなさま、ありがとうございます。
「本当に、どうやって続いてきたのか不思議で仕方ないね。」
「やっぱり助けてもらってるから、としか言いようがないね」
というのが、1時間前のわたしたちの会話です。
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国分寺の東元町で、こうやって事業所をはじめたときに、
うちの代表の齋藤鳥が「自分を自由にしてくれたまちに、恩返しがしたい」というようなことを言っていた。
齋藤は「自由」ということにとても敏感だから、
そのときの感動はわたしが想像するよりももっともっと大きなものだったのだと思うし、
そのことはケアの中身にも影響しているように思う。
わたし自身の記憶を「自由」という言葉で検索すると、
大学生時代の風景が浮かんでくる。
哲学の講義と、ゼミで出会ったとある本がそこにある。
どちらも、解きほぐしたり、広げたり、縮めたり、潜ったり・・・
「ここもほぐすのか!」と、ドキドキし続けていた。
肩書きを取り払って「言葉」と出会うような感覚。
そのワクワクは、「訪問介護」の中にも。
はじめましての瞬間から始まり、
ある時、やっと「関係」のスタート地点に立たせてもらえる時が来る。
先入観や思い込み、自分自身の考え方の癖がポロポロと剥がされ、
その方と改めて「出会う」瞬間があり。
身体を使って、移動して関わって、人と出逢っては別れ、
ぐおんぐおんと心を揺さぶられるような経験をしていると、
人は人に生かされている、と感じる。
そこにあるのは命だから、本気で向かい合うしかない。
その時のドキドキは、「自由」に近いと思う。
わたしにとっての自由は、
そこにしかない答えを探すことを許されている、のと、ほとんど同じような気がしている。
(え)