2019年2月5日火曜日

人を尊敬する気持ちはエネルギーになる


人生の節々で感じるのは、

人を尊敬する気持ちは、とても大きなエネルギーになるということ。

 

 

一目会っただけで、受け入れてもらえたと感じた看護師さん。

堂々として、受け止める懐の広さが態度に出ていたヘルパーさん。

ほかの家族に配慮しながら、ケアチームの実現可能なやり方を提案してくださったご家族。

そして、どんな状況にあっても家の中心であり、ケアチームの力を最大限に引き出してくださる利用者ご本人。

 

チームの各職が一堂にあつまり、ひるまずにそこに居て、ご本人を中心にこれから必要なことを探っていけたことで、「担当者会議」の意味が分かった気がした。

とてもいい空気が室内にあふれていて、病状とは対称的に明るい雰囲気だった。

このチームでならいける、とご本人やご家族に思っていただけていたら在り難い。

 

 

自分の弱さや無力さ、小ささを思い知った。ガツンときた。

でもそのことを悲しむのではなくて(これが今までの自分からすると意外だった)、

まだまだ変わっていけるんだなと思えたのがうれしかった。

こんな風に在りたいと思える人たちがそこにはいて、

その人たちと一緒に向っていけることが本当に在り難いことなんだと思った。

 

人と出会うというのはすごい。

人との、先輩たちとの、選べない出会いの連続であるこの仕事に就いて、本当によかった。

もっともっと、よくなっていきたい。

たくさんへこんで立ち直りたい。

2018年12月31日月曜日

ありがとう2018

大事をなすための力を与えてほしいと神に願ったのに
従順さを学ぶようにと弱い人になった

偉大なことができるようにと健康を望んだのに

より善きことができるようにと病弱さを与えられた


幸せになるために富を求めたのに

賢くなれるようにと貧しさを授かった


人々の賞賛を得ようとして力を求めたのに

神の必要を感じるようにと弱さを授かった


生活を楽しもうとあらゆるものを求めたのに

あらゆることを喜べるようにと生命だけを授かった


求めたものは何も与えられなかったが

願ったことはすべてかなった


こんな私なのに、声に出していわなかった祈りもすべてかなえられ

私は誰よりも豊かな神の祝福を受けた


(無名の南軍兵士の祈り)
 
 
ありがとう2018年。
もうすぐ会えますね2019年。
 
今年もたくさんの方に助けられながら、無事に1年を終えられることに在り難さを感じています。胸いっぱいに。
 
羽をのばして飛べる日もあれば、一瞬の緊張が色々なところに派生してしまう日もあり、
自分を縛り付ける思い込みが、誰かと笑い合うだけでほどけてしまうこともあり。
 
この仕事は、人のいいところだけでなく、本当の部分がどうしたって見え隠れしてしまう。人間らしさの中で生きていると感じられるこの仕事を、心から愛しています。
「かわいい年寄りが待っているなんて思ったら大間違い。年寄りは残酷だよ。」
ヘルパーさんが言われた言葉です。
やさしくしたいと思う気持ちが受け入れてもらえると思ったら大間違い。元気になってほしいと思う気持ちが歓迎されると思ったら大間違い。してあげる側だなんて思ったら大間違い。
 
自分自身の卑しさやエゴや弱さにも何度も出会いますが、そう思うこと自体を責めるのではなく、ひとまず受け止めた上でほかの選択肢はなかったか考えてみる。そして、やっぱり、不安が心に残ってしまう時は自分が中心になっているなぁと思わざるを終えませんでした。できるだけ自分から自由になりたい。
 
そんな中、今年はいい本に出会うことができ、時間をかけてゆっくりと読ませていただきました。先を行く人たちの歩く姿を地図代わりに、固まっていたスイッチを切り替えて、目の前の人たちと出逢っていく、そんな歩みでした。

 
2019年。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
 


 
 
 

 
 

 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2018年11月28日水曜日

立つ位置


「痛いんです。」

「苦しいんです。」

「不安なんです。」

「辛いんです。」

この仕事をしていると、そんなメッセージを受け取ることが少なくない。
そして、どうしても、それを受け取ることが辛くなるときもある。

 

そういう時に自分が「聞かない」ようにしている、と気づいた。
聞かない、と言っても無視するわけではない。
相手から生まれる言葉を、言葉で跳ね返したりしていた。

それも、「でも」「そんなことない」とかは言わない。だから、一見聞いている風に見える。

 

「そうですか。じゃあ、○○さんはこう思っていらっしゃるんですね。」と、自分の言葉に変えたり、感じてほしい気持ちの方向へ誘導したりする。

前向きな気持ちになってほしいと思う時には、「今はちょっと休んで、次に進む準備をしていらっしゃるんですね。」などという風に。


 

だから、自分でも聞いていないとは気づいていなかった。

 

 

少しその気持ちと距離を置けるようになった時に(それには時間が必要だった)、

もしかすると、その気持ちの奥には、どこかで、ヘルパーである自分がその人の苦労を解決できると思っている部分があるんじゃないかという気がした。「専門家の力」で。

 

あぁ、行きたいのはこっちじゃない。

見えてしまえば明らかだ。

 

だって、それって専門家は聞かなくていい・聞かなくても要素だけを捉えればわかると言っているのと同じことだ。それって、人は誰でも同じ経験を同じように感じたり考えたりしていると思うのと同じことだ。

わたしだったら、やってほしくないことだ。やってほしくないことをやっちゃだめだ。

 

 

道に倒れている人や、駅の方向がわからなくてキョロキョロしている人には、それに合う手を差し出したい。でも、その人が感じている「今」を取り上げたりはしたくない。何が感じるべきで感じるべきでないかは、わたしが決めることじゃない。

その人の人生を、物語を、聞かせてもらったり立ち会わせてもらう、それが自分の立つ位置であり、わきまえであり。
 

同じところを、ずっとグルグルと回っているような気もする。だけど、毎回1に戻ればいいと思う。そういう気持ちで、今日からまたスタートする。

2018年8月20日月曜日

看板俳優


酷暑が始まったころ、その方のお宅のクーラーが壊れてしまった。

扇風機もない。窓を開けるのもどうやらお好きでないご様子。

 

「どうだった?」「心配だよ。」「熱中症が…」

訪問するヘルパーの不安が、どんどん切羽つまった感になっていく。

 

 

そんな時に、あるヘルパーが台所で冷風機を発見した。

「冷」にはならないけど、取りあえず風が吹く。

次の日訪問したら、部屋の中が快適になっていた。

 

「よかったですね~」と心から言うと、

「昨日、気のいいおっさんが“使った方がいい”って出してくれたのよ」とのこと。

 

 

お上品な口調で「気のいいおっさん」と言われたそのヘルパーは、

別の日には同じ方から「泥棒がソファーのところで洗濯物を畳んでいたので、声をかけたら窓から逃げていったわ」と言われていた。

 

「一人で何役も大変だね」と、先輩ヘルパーに言われていた。

2018年7月11日水曜日

正しい


小さな小さな争い、それが実は『正しい』という意識が生んでいることに
もう私たちは気づかねばなりません
                      料理教室森田主宰 森田久美氏
 
 
 
何度も気づくのに、「タダシイ」というエンジン音はとても大きくてかき消されてしまったり、その勢いで周りの景色が見えなくなったりしてしまう。
それって、気づいていないってことなんだろうか。
 
いいと思っていることは変えにくい。
長所こそ、最大の敵。

2018年6月27日水曜日

アーモンド


「アーモンドって、いつからあるのかしら。ねぇ。」
体調がよくないならこういうものを食べなさいと、妹さんから送られてきたアーモンド入りのお菓子を眺めながら、まったく嫌になっちゃうわと続けられる。
 
「このお菓子、小さい頃に食べたことがあります。」と私が言うと、
「そうよね~!あなたの小さい頃って…最近じゃない!」と大きく笑う。その姿は90歳にも、圧迫骨折をしているようにも見えない。この仕事をしていて不思議なのは、町中でお会いする時よりもずっと、おうちにいる時の姿の方が若く活き活きとして、チャーミングに見えることだ。
 
「ねぇ、落花生はどう?あったかしら。」
「落花生は…あー、どうでしょう。あ、でも千葉で採れるから。」
「あぁそうね、殻付きのがあったわね。剥いてあるのはどうだったかなぁ。」
「アーモンドも殻の中に入ってるんですよ。梅干しの種の平たいのみたいな。」
「じゃあ胡桃と一緒なのね。へぇ~」
 
別のお宅で聞いたお話を思い出した。
 
「そういえば、戦前にプリンを召し上がったという話を聞きました。」
「あら、それはめずらしいわよ。どこの方?」
「たしか横浜の方…」
「だからよ~。うちは下町だから。でもあっちの方も空襲ひどかったでしょう。」
「山から海まで見渡せたっておっしゃってました。東京の空襲の時は、向こうの空が赤くてって。」
「そうよ、うちは家族みんな無事だったけど。火の海で、あの橋を渡ってね…」
 
身体の弱い子どものためにお母さんが毎月お参りに行って、帰りに参道で買ってきてくれたお饅頭。
大きさや色の異なる甘納豆がぎっしり詰まった箱を家族一人にひとつずつ買ってきて、お母さんに怒られたお父さんの話。その箱をしっかり抱きしめた話。
お芋を混ぜたおかゆ。
食べ物と交換するために、自分の大切な洋服が農家さんの手に渡ることになり、それを着ている子を見かけたときのこと。
お店によって異なる、水無月の小豆の炊き方。
お母さんが突然亡くなり、友だちには「今、町へスイカを買いに行っている」と説明した話。
 
食べ物のある風景の話。食べ物を起点に、その時の景色がどんどん広がってくる。
なぜか食べ物が登場すると、時間と空間が広がる気がする。

2018年5月27日日曜日

出会って守られてお返しをする



我が家には1羽の鳥が一緒に暮らしている。

オカメインコという種類で、人間でいうほっぺたのあたりに、オレンジの真ん丸がついているので、いつでもご機嫌に見える。

 

鳥の老いじたくというテーマでお話会があるというので、参加した日のこと。

会場は愛鳥家の方たちでいっぱいだった。「どうやったら長生きしてくれるか」という話題になると、先生は室温や生活リズムなどについて話した後、こう言った。

 

「愛されているな、生きていてもいいんだなと思えることが大事です。」

 

 

 

友人のデザイナー夫婦にお願いして、パンフレットを作っていただいている。制度が変わり、必要な場面が出てくることがありそうだという判断で、えいやっ!と作り替えることに決めた。決めたんだけど、なかなか決まらない。

形が見えてきたところで、わたしたちが「ちょっと待って」と保留にしてしまったから。

 

形が見えてきたので、分からないことがはっきりした。

でも考えれば考えるほどわからない。

「これを手に取ってくださった方に伝えたいことって何なんだろう。」

「わたしたちがやっていることってなんなんだろう。」

 

 

いい仕事だよね、大事な仕事だよねと言われたり、

寄り添います、お話聞きますという言葉を見聞きしたり、

「いい話だねぇ」と言われたりすると、頭がストップしてしまう。モヤモヤしてしまう。

 

 

「ケアしてほしい人はいないと思う。

だから正しいことをやっていると思わないほうがいい。」(最首悟『星子が居る』)

その通りだと思っている。                                      

 

 

パンフレットに載せる文章を考えていたら、だんだんと就職活動をしていた頃を思い出してきた。エントリーシートみたいだ。

何ができます、何が得意です。御社に貢献します。

 

でも、介護の仕事はそういう「生産性」のようなものと相性がよくない、と思う。

 

1人では生きられない。年齢にかかわらず。

誰かの人生に触れるとうれしい。はっとする。

価値観は人それぞれ。あまりにも、人それぞれすぎてびっくりする。

人生は、関わってくれる人の目で、いくらでもどうにでも変わる。

 

わたしたちは、訪問先のおじいちゃんやおばあちゃんの目に、守られている。

それを、返すのはいろんな形の敬意、だ。

そこに登場する、おじいちゃんもおばあちゃんも家族も介護職も、みんなが当事者で、上下関係も、する/されるでもない。当り前の話だ。

わたしたちは、出会って守られてお返しをする。そういう仕事をしている。

それがたまたま仕事になっている。

 

でも、そんなこと、パンフレットには書けないよなー。