「痛いんです。」
「苦しいんです。」
「不安なんです。」
「辛いんです。」
この仕事をしていると、そんなメッセージを受け取ることが少なくない。
そして、どうしても、それを受け取ることが辛くなるときもある。
そういう時に自分が「聞かない」ようにしている、と気づいた。
聞かない、と言っても無視するわけではない。相手から生まれる言葉を、言葉で跳ね返したりしていた。
それも、「でも」「そんなことない」とかは言わない。だから、一見聞いている風に見える。
「そうですか。じゃあ、○○さんはこう思っていらっしゃるんですね。」と、自分の言葉に変えたり、感じてほしい気持ちの方向へ誘導したりする。
前向きな気持ちになってほしいと思う時には、「今はちょっと休んで、次に進む準備をしていらっしゃるんですね。」などという風に。
前向きな気持ちになってほしいと思う時には、「今はちょっと休んで、次に進む準備をしていらっしゃるんですね。」などという風に。
だから、自分でも聞いていないとは気づいていなかった。
少しその気持ちと距離を置けるようになった時に(それには時間が必要だった)、
もしかすると、その気持ちの奥には、どこかで、ヘルパーである自分がその人の苦労を解決できると思っている部分があるんじゃないかという気がした。「専門家の力」で。
あぁ、行きたいのはこっちじゃない。
見えてしまえば明らかだ。
だって、それって専門家は聞かなくていい・聞かなくても要素だけを捉えればわかると言っているのと同じことだ。それって、人は誰でも同じ経験を同じように感じたり考えたりしていると思うのと同じことだ。
わたしだったら、やってほしくないことだ。やってほしくないことをやっちゃだめだ。
道に倒れている人や、駅の方向がわからなくてキョロキョロしている人には、それに合う手を差し出したい。でも、その人が感じている「今」を取り上げたりはしたくない。何が感じるべきで感じるべきでないかは、わたしが決めることじゃない。
その人の人生を、物語を、聞かせてもらったり立ち会わせてもらう、それが自分の立つ位置であり、わきまえであり。
同じところを、ずっとグルグルと回っているような気もする。だけど、毎回1に戻ればいいと思う。そういう気持ちで、今日からまたスタートする。