次の日の午前中のケアがキャンセルになった。夜に家族会議をして、始発の電車に乗って高尾山に登ろうということになった。
登山中にすれ違う人は少なく、たまに会えば「この人も頑張って起きたのかなぁ」と妙な親近感を覚える。そんな中、スタスタという足音に振り向くと、チェックのスカートに薄い水色のブラウスを着た女子高生が軽快に登っていく。
「学生さんだよ!」と言うと、会釈をしてくれた。頂上で彼女は朝ごはんを食べていた。「今日思いついて登ってみたんです」だって!
キラキラだなぁ。
「あの子とまた会えたらいいね。」「でもこれが一期一会ってことじゃない。」と、
リフトで下りながら話した。キラキラだなぁ。
「あの子とまた会えたらいいね。」「でもこれが一期一会ってことじゃない。」と、
下山後は、山のふもとの大きなお風呂へ。
「いや~寒いわね~。身体すっかり冷えちゃってさぁ。」
と、早口で話しながら女の人が入ってきた。
ずいぶん親しいお友だちに話しかけているような口調なのだけど、お風呂にはわたしとその人しかいない。年のころは60代後半くらいだろうか。
「もういいかなと思って一回あがったんだけど、寒いからさ。半袖じゃだめね、長袖ね。
あんた何着てきたの?」
あ、半袖に一枚羽織るものを持ってきました!
勢いに負けないように、わたしも水圧を借りてお腹に力を入れて声を出す。
ちなみにこの日は最高気温29度と天気予報では言っていたけど、朝から日差しの照り付ける暑い日だった。
しっかりとわたしの目を見て話は続くよ、どこまでも。
「お姉さんはどこ出身なの?」
え、えーと、生まれは川崎です!
「どおりでこの辺では見ない顔だね。じゃあ川崎から来たの?
まぁ、あんまり聞いちゃね。今は個人情報とかいろいろ怖いから。わたしは立川でね、朝7時に起きて来たのよ。前に入りに来たときは3年前で、
その時はもっと混んで芋を洗うようでさぁ(…つづく)」
着替えて髪の毛を乾かしていたら、「ちょっと悪いんだけど」と、クルクルっとまるまった背中のシャツをこちらに向けてこられた。丸まっちゃったんですね、とシャツを引っ張り伸ばす。
ひとりでは味わえなかった。わたしたちだけでは味わえなかった。
次の週、朝刊を読んでいたらこんな言葉が載っていた。
「美味しいもの、美しいもの、面白いものに出会った時、これを知ったら絶対喜ぶなという人が近くにいることを、ボクは幸せと呼びたい。 燃え殻」
(鷲田清一『折々のことば』 朝日新聞2017.9.21)
「食事は独りでとるより誰かとおしゃべりしながらするほうが旨い」(鷲田清一)し、大きいお風呂で誰かとおしゃべりしながら入るほうが温まる。
でも仲良くならなくても、次につなごうとしなくても、もしかしたら話をしなくてもいい。人生の瞬間がたまたま重なった時間を共に過ごしているとじんわりと感じられるだけでもいい、と思う。味わう時間が目の前に横たわっているような気がしている。そこから先は奇跡みたいなものだから、初めから願わないし、もし生まれたならそれだけで祭りだと思う。
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