2016年6月30日木曜日

おうちを出た後で


おうちを出た後で、

あれでよかったのかな、ほかのやり方はなかったのかなと思うことはたくさんあります。

 

身体を使うケアであれば、検証・検討することでよりいい方法に出会えることもありますが、

その合間の、人と人が向き合っているな、というような時間には、

答えのない、技とかではない、その状況でしか生まれない時間が流れているような気がします。

 

仕事であるけど、だからといって割り切れるという感じでもなく、

人の人生に向き合っていて、だけど関われることは限られていて、

深く関わろうとすれば距離がうまく取れなくなる。

 

 

マニュアルではなく(きっともしマニュアルが100あったとしても、たいていの方は当てはまらない)、その時々の「自分」が試されている。

こちらのルールに当てはめていないか、逃げていないか、自分の常識で考えていないか、

ちゃんと耳を澄ませているか。

 

 

この仕事が好きだな、楽しいなと思う気持ちと同じくらい、

「これでいい」「わかった」という気持ちにならないことが、

自分を後押ししてくれる、という気がしています。

2016年6月15日水曜日

今日のことり

Bさんはおしゃれさん。
お若い頃にはミス○○にもなったことのある、美意識の強い方です。


Bさん「わたし、あの人はお腹が出ているからイヤなのよ。」

ことり「Bさんはスマートですもんねぇ。でも、お腹ならわたしもトホホです(苦笑い)」

Bさん「あらっ!あなたは凹凸ないじゃない?」

トホホ・・・

2016年6月3日金曜日

『ピリとパリは、やっぱりなかよし』

ご近所さん(小3)が遊びに来た。
めずらしく静かにしているので、こちらも仕事に集中。しばらくすると、「ねぇお話つくったよ」と声をかけてくれた。

なのにわたしと来たら、パソコンと書類と数字と格闘しており、「おー」と声だけの返事をして、パソコンをパチパチ。

「じゃーねー」と言う声が聞こえて、「あ…」と彼女がいたあたりを見ると、大きな黒板の真ん中にぎっしり文字が敷きつめてあった。
 
 
ずいぶん字がきれいになったな。
黒板の向かいに座って、その「お話」を読んでみる。途中で終わっていて、でもなんだかとてもいい。登場人物の名前がいいし、あんまり説明しないのもすごくいいなぁと思った。わたしだったら、なんでケンカしたかとか書いてしまいそう。もっともらしく、うんうんと言ってもらえそうなことを。

 

続きが読みたいとその子に伝えたら、しばらくしてからまた書きにきてくれた。

 

 

事務所に来る人来る人に「ねぇ、これ読んだ?すごくいいの。」と言うと、端がぴしっと揃っているところがいいねとか、文字の大きさに強弱があるのがいいとか、それぞれ好きなところがあるみたいでそれもまたいい。

次の次の日くらいに「あれ、すごくよかった!」と伝えると「うんー」と別の遊びに夢中みたいだった。

 


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「ピリとパリは、やっぱりなかよし」
 
 

むかしむかしあるところに、ピリとパリがいました。

ピリは女の子で、パリが男の子でした。

2人はいつも一緒にいました。

 

ある晩のこと、ふたりはケンカをしました。いつも仲良しなのにはじめてケンカをしました。

それからあるとき仲直りをしました。

 

その時、とつぜん鳥がきました。

何をしているのかなぁとふたりは悩んでいました。近づいて見ようと思ったら、逆に鳥が近づいてきました。

 

見てみると、カラスが小鳥を追いかけていました。

ふたりはそれを見てかわいそうだなと言いながら助ける方法を考えはじめました。それでふたりはいい方法を思いつきました。ふたりの方法は全くおんなじでした。

 

それでふたりは力を合わせてカラスを追い払いました。小鳥は楽しく暮らしました。
 
 
 
 
(改行や句読点など、修整しています)