2016年12月14日水曜日

今日のことり

お風呂に浸かりながら、Bさんが昔の話をする。

「わたしも飲んだわよ。ポートワインとか。」

へぇ、Bさん、飲んでたんですね。

「強いんですねって言われて。それが嫌でやめたけどね。」

娘さんも、お酒強いんですか?

「あの子は強いわよ~、ノンアルコール飲むもの。」

(え)

2016年12月9日金曜日

「ぶんじ」の使い方


その姿に「パートナー」「連れ合い」という言葉が思い浮かぶ、そんなご夫婦がいる。

Hさんご夫妻もその一組。

はじめてお会いした時の印象は、男気のある寡黙なご主人と、さっぱりとした軽やかな奥様。人との距離感を大切にされていて、親しんでも慣れあうことはない、上品だけどユーモアのある、そんなイメージだった。

 

ある日のこと。

お買い物の代行に伺うと、用意してくださっていたメモの中に「ボジョレ・ヌーボー」の文字があった。

もうそんな時期なんですね、と言うと、

「毎年ふたりで飲んでいるのよ。おいしいかどうかは別だけど、こういうの好きじゃない?日本人は。」と奥さま。

今年は主人は舐める程度かもしれないけど、毎年楽しみにしているから。

おつまみのスモークサーモンは、サラダにものせられるから私も食べるし、と。

 

 

年に1度の楽しみか~、と思いながらスーパーに到着。ところが、どこを探しても「ボジョレ・ヌーボー」は見当たらない。おかしいな、チラシにも書いてあったのに、と預かったチラシをもう一度見直してみる…と、
 
「あ!」

 

ボジョレ・ヌーボーの解禁日は、翌日だった。

1日前に入っていたチラシをみて、奥様は「今日」と思ったに違いない。

どうしようかな、でもほかのワインを買っていっても意味がない。

もしかしたら、明日お出かけの際に買っていらっしゃるかもしれないから、とりあえずおつまみ用にとおっしゃっていたサーモンは買っていこう。

 

そして、会計を終えて自転車へご自宅へ向かう。

自転車を漕ぎながら頭の中で自分と会話する。

ねえ、ワインって重いよね。明日お出かけする用事があったとして、Hさんは購入されるかしら。いや、しないだろうな、したとしても重くて大変だよ。だから頼まれたんだもの。でも、訪問は明日じゃなくて今日なんだもの、どうしようもないよ、まだ解禁していなかったんだし。でも年に1度の楽しみなんだよ。来年があるって保証もないかも。でも訪問日以外に訪問することはできないよ、介護保険なんだもの。何かいい方法はないかな、お互いにとっていい方法。

 

そこでピン!ときた。いい「道具」がある。

 

 

チャイムを鳴らして入室。買ってきたものを袋から取り出して、確認していただく。

そして、Hさんに告げる。

「ボジョレは…解禁日は明日でした。まだ売っていなかったんです。」

Hさんは「あら、チラシをみたから勘違いしちゃったわ」と笑う。別にどうってことないんだけど、そう、残念だわね。ちらっと寝室のご主人を見る。

 

Hさんの言葉が終わるのを待って、やっぱり提案してみようと心を決める。

「それでね、Hさん。もしよかったら、これ使ってみませんか?」

それは、Hさんから本をお借りした時にお礼にとお渡しした「地域通貨ぶんじ」。

国分寺の有志ではじめた、「ありがとうカード」と「通貨」の性格を併せ持つ地域通貨だ。今日は、背中を押してくれる道具として力を借りた。

いつもお買い物用に出してくださるお財布に入れてあったので、それをテーブルに取り出した。

 

「介護保険だと、わたしは明日ボジョレをお届けすることはできないけど、“ぶんじでお願い”と言ってもらえたら、行けるなと思ったんです。もしよければ、ですけど。」

 

視線を合わせたまま少し黙って、それからHさんが「あなた、明日行く用があるの?」とおっしゃる。わたしもご飯の買い物にいくついでです、と答える。

「じゃあ、お願いしようかな。あなたも買うの?」はい、Hさんのお話聞いていたら、飲みたくなったから、うちも買ってみます。

 

 

そして、次の日。

お昼前に、訪問の合間の時間を見つけて、スーパーへ。あった~!割れないように包んでもらって、Hさんに電話。

もしもし?今おうちにいらっしゃいますか?

「はい、おりますよ。」

では、今からワイン便をお届けにあがりますね。

「あら、はははは。お待ちしております。」

 

2016年12月1日木曜日

感じ取られている


Jさんは、お話がものすごくおもしろい。

「あんた、サメ(どうやらクジラらしい)と一緒に泳いだことある?あれはね、怖がらせなければやさしーい動物だよ。その上をイカがすいっと泳いでんの。イカが泳いでるの、見たことある?白くなんかないよ、透き通っててきれいなんだよー。あんたにも見せてあげたい。」

 

「わたしはね、お金がないから、ほら、あれだよあれ。そう!アロエを顔につけるの。しわしわの顔だったなんて、信じられる?ほら、触ってみ!ね、すべすべしてるでしょう。アロエをね、すりおろしてこの中に入れておくの。わたしは水で薄めて、本当はお酒がいいらしいんだけど。アロエはいいよ、何にでも効くよ。」

 

他にもいくつかレパートリーがあって、たまに新しい話を聞くこともできる。

デイのお迎えの車が来るまでの間、靴を秘密の隠し場所(その時々によって異なる)から出してもらい、玄関に置いて、おうちの鍵の在り処を聞いてJさんのカバンにしまう。わたしはガサゴソ探さない。出してもらうか、教えてもらうことが大事。

 

靴下を履きましょうというきっかけを作り、リビングの椅子に腰かけてもらう。そして話をしながら靴下を履いてもらう。

あたたかいタオルで顔を拭いてもらうときもあるし、お天気に応じて(そして汚れに応じて)着替えを提案したりする。

 

 

Jさんは、モノが見つからないと「盗られた」と解釈するようになっていた。こういうことに関心のある人は「あー、モノ盗られ(妄想)ね」と思うだろう。「モノ盗られ妄想」というのは、認知症初期の方にみられる行動のひとつ。

 

でも。「認知症のモノ盗られがはじまった」と思ってしまえば、その人の話を聞こうとする自分の気持ちが閉ざされてしまうような気がする。少なくともわたしは。

 

経験を積み重ねて、状況を判断する。これは誰もが同じ。

相手の状況や顔色をみて「今はこの話しない方がいいかな」と判断したり、

目から涙を流し顔を覆っている人を見て「悲しいことがあったのかな」と思うように、

ココにあるものがない時には(置いた場所を忘れているから)「盗られた」と思う。

 

認知症は脳の病気と言われるけれど、脳の中で正常に機能しなくなっているのはほんの一部分で、残りの90%程度は正常に動いているそうだ。カバンの中にあるはずのものがないという状況を、Jさんは自分の経験の引き出しを使って理解しようとしている。

 

全部が全部ではないけど、中には本当にあったのかどうか分からないものもあるけど、「盗られた」もののエピソードがいくつかある。できる範囲でそのストーリーを聞いてみる。過去にあった悲しい経験が、そのストーリーに引きずられて出てくることもある。

 

 

 Jさんとの時間を過ごせていない時、この「盗られた」訴えが止まらなくなるような気がしている。

Jさんとの時間を過ごせていない時」というのは、
早くしないとデイサービスのお迎えの車が来てしまうとか、
そうなると、「準備できてないの?このヘルパー使えない~」と思われてしまうと気にしているとか、
Jさんのお宅に来る前にかかってきた全く別件の電話が気になっているとか、そういう時だ。

言葉には出さないけど、しっかりと感じ取られている。わたしがどこを見ているのか。

「あんた、なんで私を椅子に座らそうとするの?あーそうかい、デイの送り出しだね。“わたし”んとこに来たわけじゃないのね。」

そういう声が聞こえる気がする。

 

わたしが我欲の方向に引っ張られずに、目の前のJさんのところにいることができたとき、ご褒美がもらえる。それが、あのものすごくおもしろい話だ。
                                                    (え)