おじいちゃんの最後の食事を作った人。
おばあちゃんと最後にいっしょにラジオを聴いた人。
おじいちゃんと最後に言葉を交わした人。
おばあちゃんと最後に大笑いをした人。
その時はそんなことに気付かず、明日・来週・退院後にまた同じように会えると思っていたら、あの時のあれが最後だった、ということがあります。
「この方はターミナルです。」とケアの依頼があることがあります。
ガンの末期など、人生の残りがわずかであることがわかっており、
医療チームといっしょにケアをする場合には、こういうコメントがつきます。
でも、そういうコメントがなくても、「みんなターミナル」。
人生の残り時間は誰にもわかりません。
食にこだわりのあるあの人が唯一作らせてくれた、甘辛いお醤油味のじゃがいも煮。
救急車に乗る前に食べたいとリクエストを受けて、大慌てで作ったいも煮は、
いつものようにホクホクには仕上がらず、お醤油色もうまくつかず、出来損ないでした。
「…魂と魂を触れ合わせるような人間関係を作ろうというとき、大事なのはお互い限りある人生なんだ、必ず死ぬもの同士なんだという一点を共有しあっていることだ…」
『生きるとは、自分の物語をつくること』という対談集の、臨床心理学者の河合隼雄さんと作家の小川洋子さんと会話の一説です。
その前には、記憶が途切れてしまう、ある小説の主人公を引き合いに出し、「(だから)全部とっぱらって、本当に魂をむき出しにして生きざるをえない」というお話も。
このお仕事をさせてもらっていると、
この言葉から思い浮かべることのできる風景があります。
本当にありがたい、「在り難い」ことだと思います。
日々おこる出来事や交わされる会話やつぶやきが、勝手に解釈されたりすり替えられることなく、その人のままに大切にされますように。
年始から身も蓋もない話ですみません。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
(え)
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