「月曜日は、また新人さんを連れてきます。」と言うと、
Gさんは苦笑い。
「そこをどうか、よろしくお願いします。」と頭を下げると、
呆れたような笑顔を見せてくれて、2人で笑った。
この間の同行(どうこう。1人でケアに入れるようになるまで、ヘルパーが2人体制でケアに入り、手順やポイントなどを教え、伝えること)の時のことを思い出してみる。
「でも…わたしもあんな感じだったかなぁと思うんです、初め。」
そういうと、Gさんが眉毛をあげてこちらを見る。
「あのあと、事務所に戻ったら、あの子、“自分のことばかりに一生懸命になっていた。Gさんが寒いんじゃないかとか、そういうことを見れていなかった”って言ってました。」
うんうん、とGさんが頷く。
「だから、そうそう、そのとおりって。」
「人を育てるっていうのは、学ぶことが多いです。初心に戻るというか、そういうことがたくさんある。そういう意味で、わたしはとっても勉強になってるんです。」
と言って、はたと気づく。“自分のことばかりに一生懸命になっている自分”。
「とはいえ、Gさんが安心してお風呂に入れるというのが一番大事で。彼女がそこに辿り着くには…もう少しお時間を!」
というと、Gさんが大きく笑った。
脳梗塞の後遺症でことばを思うように操れないGさんが、「黙って」話を聞いてくれたことがとてもありがたくて、「また月曜日に!」とお宅を後にした。
やりとりしているのは言葉だけじゃない、と身体感覚で教えてくれたのはGさんだ。表情や視線の方向、発する空気…そういうこと全部で表現している。わたしたちヘルパーはリハビリ職ではないので、言葉を要求しなくていい。それ以外の表現をしっかりと待つこと、「見る」こと、それを受け取ってこちらのボールを投げ返すこと、そういうことが耳を澄ませることにつながっている。そんな気がしている。
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