2017年4月18日火曜日

器の中身を捨ててみる


相手が友だちなら、家族なら、こういう時には自分がどうふるまうか想像がつく。
だけど、仕事であり、支援する立場にあるときにどんな風にそこにいればよかったんだろう。
ケアの最中に、そんな出来事があった。
 
相手が欲しい言葉は分かっているけど、自分はそれを言いたくない。
支援する立場として、言うべきではないと思っている。
でも、それを言えば、相手が満足するのはわかっている。
 
 
家に帰ってからも、胸のあたりにべったりと何か貼りついている。
上司でもある夫に相談をする。
 
結局は、自分の思いどおりでないことに、わたしも苛ついているのだろうか。
相手に対して、こうふるまうべきだとか、そんな考え方をするべきではないと思っているのだろうか。
 
家の新聞を整理していたら、数日前の「折々のことば」(朝日新聞のコラム)が目に留まった。
 
 
基本的に、自分の器を大きくすることはできません。
出口治明
 
器はもともとの容量が決まっている。入れたいものがあるなら、その中に入っていたこだわりを捨てて、空きを作ればいい。ということのようだった。
 
 
わたしの人間としての器なんて本当にちっぽけだ。それなのに、そこに「べき」がたくさん入っていた。自分に対しても、相手に対しても。
ふと胸のあたりに意識を向けてみる。風通しが悪そうだな、という感じがする。ボタンをいくつ外すか、という話ではない。ガチガチに固まっていて、閉じている感じがするなぁ。

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