このお仕事を始めたばかりの時は、「この方はずいぶん個性的だな~!」と思うことがあったような気がするけど、最近はそれが積み重なった結果「どの方も個性的」「どの方も特別だ!」と言葉そのまんまの感じで感じている。
金子みすゞやSMAPが歌っていたのを聞いた時には、ある種うつくしく清く正しいイメージがあった言葉だけど、今自分が感じているのはもっと土臭い、「同じってことはまったくないな」「ふつうなんてない。みんなが特別って、その通りだしそれしかない」と確信できる。
わたしの髪の毛は、すぐにぺしゃんとしてしまうし、小学生のころには「三つ編みパーマ」(夜寝るときに髪を三つ編みにして、朝ほどく)をやったこともあったけど、どんなにきつく三つ編みをしても学校に着くころにはストンと元の髪に戻っていた。
外国の子どものようなクリンクリンの、とまではいかなくても、くせ毛っていいなぁというあこがれはずっとずっとあって、いつだったか美容師さんにそう話した。
そしたら、「みんなくせ毛なんですよ。川上さん(旧姓です)の髪の毛だって癖ありますよ」ときっぱり言われた。「くせのない髪の毛なんてありません」と。
今だったらなるほどと思える。「うちはふつうでしょ。ふつうじゃないお宅にあこがれるわー」と訪問先で言われたら、きっとそう思うと思う。
この、みんな特別な「当り前」を生きているところに、今まで縁もゆかりもなかったわたしたちが出向いで、ケアの合間にお話してくださることを聞いていると、映画を観ているような気持ちになる。なんでみんなこんなドラマチックな人生を歩んでいるんだろう。
ある日。
Jさん、ケアマネの話だと、もうすぐグループホームに入られるかもしれない。もしかしたらこれが最後の訪問になるのかな、と思っていた日。
Jさんはいつもの話をしてくれた。いつもの話を初めてのように繰り返してくれる。決め台詞もあって、こちらとしては読み聞かせを楽しみに待つ子どものような気持ちで。
男の子が土手に仕掛けを作ってエビを釣ったという話の時。餌のフナムシを仕掛けの中に入れるシーンになったら突然、
「フナムシだよ。あんた触ったことある~?」とJさんが両手を水をすくうような形にして目の前に差し出してきた。
「ないない、ないです~!きゃ~!」と身体を避けて、2人で大笑い。
ひとつだけの人生の、ある場面に連れて行ってもらう、もしくはその物語を見せてもらうような時間は、何物にも代えがたい。
デイの車のお迎えが来て、スタッフの方と乗り込んで扉が閉まり。エアコンをかけている車の窓を開けて、スタッフの方が
「あのね~!Jさんがあなたのこと大好き~って!」
これにはたまげて、「わたしもです」とか言えばよかったのに「あら~」としか言えなかった。
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