我が家には1羽の鳥が一緒に暮らしている。
オカメインコという種類で、人間でいうほっぺたのあたりに、オレンジの真ん丸がついているので、いつでもご機嫌に見える。
鳥の老いじたくというテーマでお話会があるというので、参加した日のこと。
会場は愛鳥家の方たちでいっぱいだった。「どうやったら長生きしてくれるか」という話題になると、先生は室温や生活リズムなどについて話した後、こう言った。
「愛されているな、生きていてもいいんだなと思えることが大事です。」
友人のデザイナー夫婦にお願いして、パンフレットを作っていただいている。制度が変わり、必要な場面が出てくることがありそうだという判断で、えいやっ!と作り替えることに決めた。決めたんだけど、なかなか決まらない。
形が見えてきたところで、わたしたちが「ちょっと待って」と保留にしてしまったから。
形が見えてきたので、分からないことがはっきりした。
でも考えれば考えるほどわからない。
「これを手に取ってくださった方に伝えたいことって何なんだろう。」
「わたしたちがやっていることってなんなんだろう。」
いい仕事だよね、大事な仕事だよねと言われたり、
寄り添います、お話聞きますという言葉を見聞きしたり、
「いい話だねぇ」と言われたりすると、頭がストップしてしまう。モヤモヤしてしまう。
「ケアしてほしい人はいないと思う。
だから正しいことをやっていると思わないほうがいい。」(最首悟『星子が居る』)
その通りだと思っている。
パンフレットに載せる文章を考えていたら、だんだんと就職活動をしていた頃を思い出してきた。エントリーシートみたいだ。
何ができます、何が得意です。御社に貢献します。
でも、介護の仕事はそういう「生産性」のようなものと相性がよくない、と思う。
1人では生きられない。年齢にかかわらず。
誰かの人生に触れるとうれしい。はっとする。
価値観は人それぞれ。あまりにも、人それぞれすぎてびっくりする。
人生は、関わってくれる人の目で、いくらでもどうにでも変わる。
わたしたちは、訪問先のおじいちゃんやおばあちゃんの目に、守られている。
それを、返すのはいろんな形の敬意、だ。
そこに登場する、おじいちゃんもおばあちゃんも家族も介護職も、みんなが当事者で、上下関係も、する/されるでもない。当り前の話だ。
わたしたちは、出会って守られてお返しをする。そういう仕事をしている。
それがたまたま仕事になっている。
でも、そんなこと、パンフレットには書けないよなー。
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