2017年10月18日水曜日

冷蔵庫と氷


まだ暑い時期。入浴後に娘さんが入れてくれた麦茶を、氷の音をカラカラとさせながらおいしそうに召し上がる。

「今度の冷蔵庫は、氷が自動でできるのよ」

ニコニコと、というよりも少し興奮気味でおっしゃる。毎回、かならず。
 
毎回かならず繰り返される。きっとそこには大事な気持ちが含まれているのだろう。だからこちらからは踏み込まず、その時間を一緒に居させてもらう。


その日、がやってきた。
「今度の冷蔵庫は、氷が自動でできるのよ」
汗を拭きながら、麦茶を飲まれる。
へぇ、そうですか。
「昔は、氷は氷屋さんに買いに行ってたでしょ。こんなに大きいやつよ。」
身体の幅くらいに手を広げて、その手の中を見つめていらっしゃる。
 
「この氷で、冷蔵庫を冷やすの。」
冷蔵庫用の、ですか?
「そう。わたしたちの時代は、木の冷蔵庫だから。」
木の冷蔵庫!
「このくらいの大きさのね。氷を入れておくと、冷蔵庫になるのよ。」
 

そこから、「三種の神器」の話へ。テレビがおうちにやって来た日。家族で温泉旅行に出かけて、そこで初めてカラーテレビを見たときのこと。洗濯機は、ほかのおうちで使っているのを見させてもらって、それから買うことにしたこと。

あぁ、この方はこんな景色を生きて、今目の前で麦茶の中の氷を感じているのかぁ。
浴後だからほっぺもピンク色で、表情までちがって見えてくる。



入浴後のタイムトラベル。
「氷が自動で」はその後も続いたけど、木の冷蔵庫の話を聞けたのはこの時限り。

2017年9月27日水曜日

思い出したことと小さな決意


ひとつ前の投稿の、山登りの話の続き。

続きというか、今日訪問先でおばあちゃまとお話をしていて、山登りでのことを思い出した。

 

山登りを思い返した時に、いろんな人とすれ違って、挨拶をしたり、挨拶をしてもらったり、びっくりしたり、そういうことが「よかったね」の中にたくさん含まれていた。

きれいだねぇと言える相棒がいて、視線の先には見知らぬ人があっちの山は○○だねなどと指をさしているのを見るのもよかった。

 

登り始めてしばらくすると見晴らし台があった。
そこにはベンチがあって、ラジオ体操をしている人がいた。ちょうどそのくらいの時間だった。話しかけることもできたけど、そうせずに、少し後ろで音を拝借して、わたしたちもラジオ体操をした。


その後私たちの方がずいぶん先に歩き始めたのに、ラジオ体操の主が追い越していった。

「おはようございます」と言ったら
「さっきいたわよね」と言われたので、
「実は後ろでラジオ体操させていただいていました笑」と返した。
ふふっと笑って、颯爽と登って行かれた。

 

 

山の中を1人で、誰とも出会わずにずっと歩き続けることは、
そういうことをしようと覚悟をして始めたなら違うかもしれないけど、
きっと全く違うものだろう。
その道が絶対に安全だと言われても、1か月も2カ月も一人で歩くことはわたしには多分難しい。

 


この事業所が、道の途中のベンチのような場所になっていったらと、
今日おばあちゃまと話していて思った。


誰が置いたと主張するわけでもなく、そういえばそこにあったというような。
あぁあってよかったと思ったり、こんなところにあるなんてと邪魔に思われたり。
そこでは、隣り合った人同士が話したり話さなかったり。
背景になるような、そこで起こることを見つめさせてもらうような気持ちで。

 
そんな気持ちで、
近いうちに、小さな新しいことをいくつか始めてみようと思っています。

2017年9月25日月曜日

一期一会


次の日の午前中のケアがキャンセルになった。夜に家族会議をして、始発の電車に乗って高尾山に登ろうということになった。

 

登山中にすれ違う人は少なく、たまに会えば「この人も頑張って起きたのかなぁ」と妙な親近感を覚える。そんな中、スタスタという足音に振り向くと、チェックのスカートに薄い水色のブラウスを着た女子高生が軽快に登っていく。

「学生さんだよ!」と言うと、会釈をしてくれた。頂上で彼女は朝ごはんを食べていた。「今日思いついて登ってみたんです」だって!
キラキラだなぁ。
「あの子とまた会えたらいいね。」「でもこれが一期一会ってことじゃない。」と、

リフトで下りながら話した。



下山後は、山のふもとの大きなお風呂へ。
ほとんど誰もいないお風呂で空を見上げていたら、

「いや~寒いわね~。身体すっかり冷えちゃってさぁ。」

と、早口で話しながら女の人が入ってきた。

ずいぶん親しいお友だちに話しかけているような口調なのだけど、お風呂にはわたしとその人しかいない。年のころは60代後半くらいだろうか。
 
「もういいかなと思って一回あがったんだけど、寒いからさ。半袖じゃだめね、長袖ね。
 あんた何着てきたの?」

あ、半袖に一枚羽織るものを持ってきました!

勢いに負けないように、わたしも水圧を借りてお腹に力を入れて声を出す。
ちなみにこの日は最高気温29度と天気予報では言っていたけど、朝から日差しの照り付ける暑い日だった。

しっかりとわたしの目を見て話は続くよ、どこまでも。

 
「お姉さんはどこ出身なの?」

え、えーと、生まれは川崎です!

「どおりでこの辺では見ない顔だね。じゃあ川崎から来たの?
 まぁ、あんまり聞いちゃね。今は個人情報とかいろいろ怖いから。
 わたしは立川でね、朝7時に起きて来たのよ。前に入りに来たときは3年前で、
 その時はもっと混んで芋を洗うようでさぁ(…つづく)」

 え~!!この辺の方じゃないの!3年ぶり!「見ない顔だね」って言ってたのに~とワクワク感は募るばかり。すっかりのぼせてしまう。


着替えて髪の毛を乾かしていたら、「ちょっと悪いんだけど」と、クルクルっとまるまった背中のシャツをこちらに向けてこられた。丸まっちゃったんですね、とシャツを引っ張り伸ばす。

「ありがとね~」と言われて、へへっと笑う。

 

ひとりでは味わえなかった。わたしたちだけでは味わえなかった。

 

次の週、朝刊を読んでいたらこんな言葉が載っていた。

「美味しいもの、美しいもの、面白いものに出会った時、これを知ったら絶対喜ぶなという人が近くにいることを、ボクは幸せと呼びたい。  燃え殻」

(鷲田清一『折々のことば』 朝日新聞2017.9.21

 

「食事は独りでとるより誰かとおしゃべりしながらするほうが旨い」(鷲田清一)し、大きいお風呂で誰かとおしゃべりしながら入るほうが温まる。

でも仲良くならなくても、次につなごうとしなくても、もしかしたら話をしなくてもいい。人生の瞬間がたまたま重なった時間を共に過ごしているとじんわりと感じられるだけでもいい、と思う。味わう時間が目の前に横たわっているような気がしている。そこから先は奇跡みたいなものだから、初めから願わないし、もし生まれたならそれだけで祭りだと思う。

2017年9月8日金曜日

お盆の風景


あっという間に時は過ぎ、外は秋の風。
 
時季外れの話になるが、国分寺のお盆は7/318/3
オカイコさんをやっていたおうちが多く、「仕事の関係で、忙しいのを避けるためにお盆は7/31からなのよ」と、お風呂に入りながらMさんが聞かせてくれた。
 
だから、何となくは知っていた。だけど体になじむまで、5年くらいかかった。道の角に胡瓜の馬や茄子の牛が置いてあっても、日付を意識していなかったんだと思う。
そもそもお盆というもの自体を、自らを担い手として意識していなかったからかもしれない。
 
 
子どもの頃のお盆と言えば、
深夜に車に乗って田舎に行くことで、その道中はあらかじめ買ってあったお菓子をたらふく食べてよくて、田舎に行くとおじいちゃんやおばあちゃんはもちろんのこと、親戚やいとこに会えて、ダラダラと過ごす。田舎って何にもないなと退屈していると「おーい、まちへ行くぞー」と声がかかり、スーパーへ山を下って行く。
夕方になると明かりのついていない古い提灯を持って、お向かいの山をジグザグに上って、お寺に行き、ロウソクに火をつけて提灯にともして、またジグザグ帰る。
その日の夜は、いとこと一緒に花火をして、川の音とカエルの声を聞きながら眠るのだ。
…それが「お盆」だと思っていた。
 
という話をしたら、
「それはお盆の話じゃなくて、風景の話でしょ。」とするどいツッコミ。もちろん訪問先での話。
 
 
今は、事情があって母の骨の一部が近くのお寺に預けてあるので、お盆になるとそこへお参りに行く。自分がやらなければ誰もやらない、と思うとお盆がぐっと近づいてくる。
 
「あれ?今お参りしてもここにはいないのかな?
 あ、そもそもここにはいないのかしら。」と、手を合わせながらブツブツつぶやく。
母の日に他界したからカーネーションを供える。
「そうか、母だけじゃないよな。
 おじいちゃんもおばあちゃんも、もっとずっと前からか~」帰り道にまたブツブツ。
 
 
話は戻って、
国分寺もそうだけど、訪問先のお宅によって出身地が違うからお盆に出会う期間は長くなる。
訪問するとお孫さんたちがお金を出し合って買ったという灯篭が出してあったり、
「初物を供えるのよ」と小さなお野菜が盆棚に並んでいたり、
きちんとお盆を過ごす風景に出会うことができる。
 
「悩み事の相談は、ご先祖様にするといいよ」というアドバイスは、年中してもらえる。

2017年8月11日金曜日

おめでとう ありがとう


同じ建物にある中華料理屋さんが、この日曜日からリニューアルオープンすることになった。
 
「今日検査がおわって、ほっとした。」と、いつもの笑顔で話してくれるコウちゃん。
事務所に戻ってきた齋藤くんに報告すると、そっかいよいよだね、と。お盆中だからお客さんいないんじゃないのかな、お盆明けてからの方がいいんじゃないのかな、とソワソワし始めた。いいんだよ、きっと。キッチンの使い勝手とか今までと違うから、少しずつの方がいいんだよきっと、と返す。
 
話しながら、あ!と気づいたことがあった。
もしかしたら、わたしたちの原動力の中の決して少なくない部分に、コウちゃんの、マスターの、ゆうかちゃんの、少し押しのつよい愛みたいなものが含まれているかもしれない。いや、絶対そうだ。
 
「えりちゃん、コーヒーゼリーとマンゴープリン、どっちがいい?」
と、やさしく尋ねるのではなく、食べるでしょ!という勢いと共に話しかけてくれるとか、
暑い厨房で重い鍋を振って、ヘロヘロになった感じそのままに手を振ってくれるとか、
そういうことが元気をくれて、
 
例えば困りごとで駆け込んできた方のところに、仕事としてできることはないけど何かできることがあるかもしれないから行ってみようとか、
バス停近くのベンチで休む方に使ってもらえるように置いておいたうちわが、時々ごっそりなくなっても気にしないとか、
そういうことを後押ししてくれる気がする。
たぶん、わたしたちだけでは、ここまでできなかったかも、ということが思い浮かぶ。
 
「こうやって、気づかないうちにもらっているものがたくさんあるんだなぁ」
「気づかないからこそ、じわじわ効いてくるのかもって気もする」
「誰かに何かをしてあげたいって思うときは、すでにその相手からもっとたくさんのものをもらっている、ってあの映画で言ってたでしょ。」
「でも、してもらったからしてあげる、っていうのとはまた違うんだもんねぇ」
 
何はともあれ、またあの花椒がきいた大盛の麻婆豆腐丼が食べられるのがうれしい。
リニューアルオープン、おめでとうございます。

2017年7月18日火曜日

1日のはじまり

朝ごはんを食べながら、昨日話せなかったケアの話や今日訪問するお宅の気になっていることを話す。
話すことで整理ができることもあるし、それをわたしたちが解決するのではないこともあるので、状況に対して覚悟ができたり肝が据わったりする。


朝いちばんのケアに行く前に、事務所の前にベンチを出す。
早起きできたときには近くの大きな公園に散歩に行くので、その時に出す。
早く出しておかないと。朝早くからベンチに座れると思ってバス停まで歩いてきてくれる人がいるので。
最近は暑いから、近所のうどん屋さんが貸してくれている白くて大きなパラソルを出す。
加えて、国分寺市の「涼み処」として頂いていた団扇を出していたのだけど(商店会帳からもらった状差しに入れて)、最近ごっそりとなくなってしまったので、今は出していない。
ご近所さんに余っている団扇がないか聞いてみよう。
時間があれば植物に水をやりたいところだけど、ちょっと時間が遅れそうだから、あとでにさせてもらう。


「訪問中」の看板を出して、いざ出陣。
移動中、ご主人がひとりで奥様の介護をしているお宅の前を通る。
草が茂っていて中の様子は見えないけど、ゴミ出してるかな、自転車(ご主人の愛車)はあるかなと、ちらりと目をやる。

パン屋さんの運搬用の車を見かけたり、前の仕事仲間のお宅の前を通ったり(運がいいと、幼稚園のお迎えのバス待ちのタイミングと合う)、たまにばったり知り合いを見つけて「おーはーよー」と大きな声だけ出して通り過ぎる。


そして、お宅に到着。
「今日は暑いね~」
「今日はけっこう涼しいね」
「雨で大変だったでしょう」
ありふれた会話のようだけど、
その日の天気と、ご家族と、おばあちゃんと、わたしが組み合わさってできる、
その時だけのあいさつ。

「あ、この間、ご主人自転車になにかしてくださいました?」
「あぁ。たまには自転車にもあげないとね」とスプレーを吹きかける仕草をされる。チェーンにオイルを挿してくださったようだ。
「帰り道、すごく走りやすかった。ぜんぜん違くてびっくりして。」
「そうよ、お父さんはこうね、手先が器用だからね。」
「器用ですよね」


あぁ、今日が始まっている。

2017年7月10日月曜日

特別


このお仕事を始めたばかりの時は、「この方はずいぶん個性的だな~!」と思うことがあったような気がするけど、最近はそれが積み重なった結果「どの方も個性的」「どの方も特別だ!」と言葉そのまんまの感じで感じている。

 

金子みすゞやSMAPが歌っていたのを聞いた時には、ある種うつくしく清く正しいイメージがあった言葉だけど、今自分が感じているのはもっと土臭い、「同じってことはまったくないな」「ふつうなんてない。みんなが特別って、その通りだしそれしかない」と確信できる。

 

 

わたしの髪の毛は、すぐにぺしゃんとしてしまうし、小学生のころには「三つ編みパーマ」(夜寝るときに髪を三つ編みにして、朝ほどく)をやったこともあったけど、どんなにきつく三つ編みをしても学校に着くころにはストンと元の髪に戻っていた。

外国の子どものようなクリンクリンの、とまではいかなくても、くせ毛っていいなぁというあこがれはずっとずっとあって、いつだったか美容師さんにそう話した。

そしたら、「みんなくせ毛なんですよ。川上さん(旧姓です)の髪の毛だって癖ありますよ」ときっぱり言われた。「くせのない髪の毛なんてありません」と。

 

今だったらなるほどと思える。「うちはふつうでしょ。ふつうじゃないお宅にあこがれるわー」と訪問先で言われたら、きっとそう思うと思う。

 

 

この、みんな特別な「当り前」を生きているところに、今まで縁もゆかりもなかったわたしたちが出向いで、ケアの合間にお話してくださることを聞いていると、映画を観ているような気持ちになる。なんでみんなこんなドラマチックな人生を歩んでいるんだろう。

 

 

ある日。

Jさん、ケアマネの話だと、もうすぐグループホームに入られるかもしれない。もしかしたらこれが最後の訪問になるのかな、と思っていた日。

Jさんはいつもの話をしてくれた。いつもの話を初めてのように繰り返してくれる。決め台詞もあって、こちらとしては読み聞かせを楽しみに待つ子どものような気持ちで。

男の子が土手に仕掛けを作ってエビを釣ったという話の時。餌のフナムシを仕掛けの中に入れるシーンになったら突然、

「フナムシだよ。あんた触ったことある~?」とJさんが両手を水をすくうような形にして目の前に差し出してきた。

「ないない、ないです~!きゃ~!」と身体を避けて、2人で大笑い。

 

ひとつだけの人生の、ある場面に連れて行ってもらう、もしくはその物語を見せてもらうような時間は、何物にも代えがたい。

 

 

デイの車のお迎えが来て、スタッフの方と乗り込んで扉が閉まり。エアコンをかけている車の窓を開けて、スタッフの方が

「あのね~!Jさんがあなたのこと大好き~って!」

 

これにはたまげて、「わたしもです」とか言えばよかったのに「あら~」としか言えなかった。

2017年6月6日火曜日

3年目のはじまりに

10日に1度はブログを書こうと(実は)秘かにに思っていたのに、
嘘のように、あっという間に6月がやってきてしまいました。

そして、
6月1日で、訪問介護ことりは2歳になりました。
いつも支えてくださるみなさま、ありがとうございます。

「本当に、どうやって続いてきたのか不思議で仕方ないね。」
「やっぱり助けてもらってるから、としか言いようがないね」
というのが、1時間前のわたしたちの会話です。

■■■
国分寺の東元町で、こうやって事業所をはじめたときに、
うちの代表の齋藤鳥が「自分を自由にしてくれたまちに、恩返しがしたい」というようなことを言っていた。
齋藤は「自由」ということにとても敏感だから、
そのときの感動はわたしが想像するよりももっともっと大きなものだったのだと思うし、
そのことはケアの中身にも影響しているように思う。


わたし自身の記憶を「自由」という言葉で検索すると、
大学生時代の風景が浮かんでくる。
哲学の講義と、ゼミで出会ったとある本がそこにある。

どちらも、解きほぐしたり、広げたり、縮めたり、潜ったり・・・
「ここもほぐすのか!」と、ドキドキし続けていた。
肩書きを取り払って「言葉」と出会うような感覚。


そのワクワクは、「訪問介護」の中にも。

はじめましての瞬間から始まり、
ある時、やっと「関係」のスタート地点に立たせてもらえる時が来る。
先入観や思い込み、自分自身の考え方の癖がポロポロと剥がされ、
その方と改めて「出会う」瞬間があり。

身体を使って、移動して関わって、人と出逢っては別れ、
ぐおんぐおんと心を揺さぶられるような経験をしていると、
人は人に生かされている、と感じる。

そこにあるのは命だから、本気で向かい合うしかない。
その時のドキドキは、「自由」に近いと思う。
わたしにとっての自由は、
そこにしかない答えを探すことを許されている、のと、ほとんど同じような気がしている。

(え)

2017年5月11日木曜日

銭湯のある町


訪問介護ことりのある東元町商店会には、「桃の湯」という銭湯がある。
 
この間は、道の向こうから手を振ってくれたNさんがやけに爽やかだったので、そう呼びかけたら「銭湯帰りだからよ」とこだまのように返してくれた。ちなみに時刻は17時。まだ明るい町の景色の中に湯上りのこざっぱりとした女性が歩いている、というのはいいなぁと見とれてしまった。
そのまま横断歩道を渡ってことりに寄ってくださり、たまたま遊びに来ていた小学生と齋藤と3人であーだこーだとおしゃべりが始まった。
 
わたしはその姿をしっかりと焼き付けて、3人を残して買い出しへ。のはずが、事務所を出てすぐに空からムクドリの「落し物」が降ってきて、見事に手の甲へ着地!急ぐ用事でもなかったので、事務所に手を洗いに戻った。
 
わたしが戻ってきたことにも気づかずに話している、小学生と40歳と人生の達人。
手を洗っているところで、やっと気づいてもらえた。
 
40歳齋藤「なに、どうしたの?」
小学生「えりちゃーん、もう帰ってきたの~?」
わたし「「いやいや、“運”がついちゃったんだよ。ほら。」
N達人「あら~、いいことあるわね~」
小学生「なに~、なんでいいことあるの?」
わたし「ほんとに、いいことありますね。楽しみです。」
小学生「なんでなんで?運がついたらなんでいいことがあるの?」
N達人「運がつくってことなんだよ。」
40歳齋藤「何色だった?」
小学生「ねー、なんでー?!」
 
気を取り直して、もう一度出掛けて、帰ってきたときには静かな事務所に戻っていた。
 
 
「このマンションの1階に銭湯があったらいいのにね、って話してたのよ。」
お一人暮らしの方が、お友だちと話していたことを教えてくださった。
1人分のお湯を沸かすのは面倒だしもったいない。何かあったときにどうしようという不安もある。だから「マンションの1階に銭湯」。
なんだかすごく面白そうな話だなと思ったし、不安なことばかり考えてしまうとおっしゃっていた方から出てきたアイデアだったから、尚のことワクワクした。「それ、すごくいいですね!」
 
まだそのきれいなマンションの1階に銭湯ができる目途は立っていないから、「日が長くなったら桃の湯に行ってみようとは思ってるんだけど…」とおっしゃるその方に、お一人で不安があるようだったら、銭湯お供します!と言ってみた。